人智を超えた真理の目

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始まり・終わり・プロセスが1つになること

物事には、始まりと、プロセスと、完成と、終了という4つ作用でできている。
 
例えば、あなたが部屋でお腹がすけば、外にご飯を買いに行こうという思考が生じ(始まり)、実際にお店にご飯を買いに行って(プロセス)、ご飯を買って家に持ち帰ってご飯を食べて(完成)、お腹が満たされる(終了)。
 
法華経の悟りも、この4段階の作用で例えて説明されている。
 
始まり:何もない無生法忍(何も始まっていない状態)のなかに、如来から解脱させてもらって授記を授かってビッグバンを起こして生まれ変わる。菩薩が生まれ変わった始まりの世界には必ず法華経がある。
 
プロセス:ビッグバンを起こした菩薩は、生まれ変わった世界で法華経に出会って、ここで学んだ仕組みを学んでは広め、学んでは広め、これを何回も繰り返す。
 
完成:繰り返し法華経の教えを学んで広めると、最後の生まれ変わりで如来としての一生を過ごすために生まれてきて、法華経を完全に理解して悟ってしまう。これが完成だがこの完成と同時に、如来のもとに弟子たちが集まってきて、この弟子たちを解脱させるので、また始まりが生じる
 
終了:無限の菩薩がいて、この菩薩たちが無生法忍が自らを思い出すための過去世であって、始まりとプロセスと完成とが無限パターンある。つまり、無生法忍の中には無限の始まりと、無限のプロセスと、無限の終了があり、これら全ての世界が完全に終わった状態が無生法忍であり、終了である。
 
終了は、全ての始まりと、全てのプロセスと、全ての完成が終わった状態があり、これが11次元の滅尽の状態であり、法華経でいうところの多宝如来である。
 
多宝如来とは、何かというと、無限の未来仏、無限の過去仏が集まった状態であり、つまり、全ての始まりと、全てのプロセスと、全ての完成が集まった状態である。
 
無限の菩薩たちが教えを広めているプロセスと、無限の菩薩が全て如来となって授記を授け終わった完成の状態であり、全ての生きとし生けるもの生命が授記を授け終わった滅尽の状態が同時に何も始まっていない無生法忍となる。
 
つまり、存在の本質である無生法忍の中には、無限の始まりと、無限のプロセスと、無限の完成が含まれていて、全てが完成した終了の状態が何も始まっていない無生法忍であるということである。