人智を超えた真理の目

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菩薩行とは何か、人として生きていくことの意味とは

菩薩の仕事は、如来から授かった最高の真理である法華経の教えを世間に広め、如来や仏教に縁を持たせてあげることである。
 
これが無限の叡智の拡大となり、無生法忍・森羅万象に沿った生き方につながることになる。
 
しかし、如来の言葉は、真空から発せられる言葉(音)であり、最高のさとりに近づくための言葉であり、嘘偽りがなく、その言葉は全て真理であって、通常の人間にとっては到底理解しがたいものだ。
 
菩薩の仕事の1つはこの最高次元の如来の言葉を世間の人々にわかりやすく説いてあげることだ。
 
あなたがもし法華経に出会い、これに正しく反応するのであれば、
忍耐強く、慈悲の心を持って法華経を世の中に広めていく尊い使命があるということを意味する。
 
菩薩の仕事は、実際にはとても現実的であり、社会にしっかりと根付いている必要がある。
 
なぜなら、あなたが社会的にきちんとした仕事について、それなりの成果を出していないかぎり、世間の人々はあなたの言葉を信じることはないからだ。
 
教えを広めるには、まずはこの社会でそれなりに結果を出す必要がある。
あるいは、社会という人とのつながりの中で、あなたの周囲の人があなたの言葉に耳を傾けるような状態をつくり出す必要がある。
 
社会で働く理由というのはそこにある。
当然ながら、日々生活するためという側面もあるかもしれないが、決してお金のためだけではない。菩薩は、お金はこの三次元世界を生き抜くために、教えを広めるために便宜上用意された道具にすぎないということを忘れてはならない。
 
法華経の教えに従い、森羅万象に沿った生き方をしている人には、物質的なことは後からついてくる。
これは法華経の随喜功徳品にも記述があるとおりである。
 
法華経に気付いていない人に対して、いきなり、「如来から受記を授けてもらってビッグバンをおこすからこの世界が創造された」などといっても変人扱いされるだろう。
 
だからこそ、菩薩は人間の近いところで生活を営み、最高の経典の最高次元の視点を養いつつ、世間の人々の目線にも配慮する。
 
相手によって話し方や内容を変えるような柔和な姿勢で忍耐強く取り組むべきである。
 
ただし、下世話な人間に無理に話す必要はない。
教えが汚され、あなた自身も吸い取られるからである。
 
菩薩が教えを広めるためには、人々から信頼される必要がある。
 
なので、俗世的なこともそれなりにやる必要がある。
だからこそ菩薩は世間に近いところで上手く人と付き合いながら教えを段階的に広めていく。
 
まずは人から信頼される人になろう。
 
そのためには、誠実であり真面目にやることが第一であるが、人間であるから煩悩に動くこともあるであろう。法華経に帰依していれば、そのような煩悩で愚かな行為ですら、方便となる。
 
あなたは、自分の生き方とやり方でで教えを説けばいい。
ただし、決して世間を蔑んではならない。これは妙音菩薩品で浄華宿王智仏が語っているとおりである。