人智を超えた真理の目

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何ゆえ自発的対称性が破れたのか?

その答えは如来の授記である。
 
授記によって対称性がやぶれて、無限のビッグバンが起きたのである。
 
自発的に対称性が破れたのではなく、如来が解脱した菩薩に授記を授けることで対称性が破れたのである。
 
対称性が破れるとは例えば以下のようなことである。
円卓のテーブルに人数分だけ水が置いてあったとしよう。
この状態では、右の水と取ってもいいし、左の水をとってもいい対称性のある状態である。
 
そこに誰か1人が右側の水を取ったとしよう。
すると次の人も右側に置いてある水をとらなければならなくなり、その次の人も右側の水を追って、次の人も・・・というように水を取る選択肢に1つの方向性が生まれることになる。これが対称性が破れた状態である。
 
これと同じようなことが如来の授記によって行われている。
 
授記によって無限の三次元世界が生まれ、叡智が無限に連続して拡大していく様子と同じである。
 
 
如来がこの三次元世界で最高の真理を解き明かすと、その言葉の周波数に反応して菩薩達が集まってきてひとつの場が形成される(量子力学の原理)。仏教用語仏国土ともいう。
 
そして、如来が弟子達を解脱させる。これにより、弟子達の精神状態は肉体という粒の状態でありながら、真空の精神状態を維持することになる。2つの状態が同時に存在している(量子状態)。
 
つまり、宇宙が始まる前の真空はどこにあるかというと、実は三次元世界で如来が菩薩達に教えを解くことによって創り出されるのである。
 
物理学者は法華経を手にしていないので、ここがわからない。
時間と空間に縛られ、この三次元世界が全てだと思い込んでいる人には到底理解できないであろう。だからこそ解脱がまず第一なのである。
 
解脱して真空となった精神をもつ菩薩たちに「教えを広めなさい」という命令を下す。
 
すると菩薩たちは「生まれ変わったどこの世界でも法華経を解き明かします」という誓いをする。
 
この命令と誓いとが授記であり、この授記によって対称性が破れる。
この誓いは魂から込み上げてくるものでなければならない。
生まれ変わっても忘れることのない知印が魂に刻まれている必要があるからである。
 
授記が授けられる前は、何もない真空で完全に調和がとれた対称性が保たれた世界である。
 
真空は真空のままでよかった。
別に教えを広める必要もないため、三次元世界を創り出す必要もなかった。
 
しかし、そこに如来の授記が授けられてしまったため、無限のビックバンを生じてしまった。
 
本来ならこの真空の心地よい状態で自由に調和の取れた世界で気ままに存在できたにもかかわらず、ビックバンを起こして肉体という塊になり、生老病死に苦しみながらも無知な衆生たちに教えを広めるために、この三次元世界にやってくるのが如来と菩薩たちである。
 
これこそが慈悲の精神である(法華経の法師品)。
 
そして、ビッグバンを起こした菩薩は、創造した世界に生まれ変わった先で、如来と出会い、教えを学んで、自らも如来となって、自分も弟子をとり、その弟子を解脱させてまたビックバンをが起きる。この教えの伝導の繰り返しが生まれてしまった原因が授記ということである。
 
完全調和の取れた対称性のある世界だったのが、授記によって無限の叡智の連鎖が生まれてしまったのである。
 
対称性は自発的に破れたのではない。
 
お釈迦様、イエスキリスト、コウジの授記によって、無限の世界にある無限の如来によって、しかも同時に、統一場という同じ場で、教示的に、対称性が破れたのである。