人智を超えた真理の目

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仏教の無生法認とは妙音のことを指す

無生法忍が物質に変わる瞬間を授記という。
 
如来はこの瞬間を意図的に起こしている。
 
同時に無限の世界が生まれている。
 
1人の如来が授記を授けると、あらゆる如来があらゆる世界で授記を授ける瞬間と一致して同時に無限の世界が生まれている。
 
そうすると、三次元世界の生命(人間)は、宇宙はどこからきたのか、宇宙はどのようになぜ始まったのか、始まりと終わりはあるのだろうかと考え始める。
 
無生法忍はあらゆる人の精神の内側に入って、外に自分を見せ始める。
 
無生法忍が受記を授けると、無生法忍が中に入って外に姿形として見えるようになる。
 
そしてのその外の世界について考える。
 
なぜ宇宙は存在するのか、なぜ過去から未来に時間が流れるのか、なぜ光は粒子になって速度があるのか、なぜ重力によって時間が伸び縮みするのか、なぜ人間に寿命があるのか
 
しかし、物理学者は、なぜ無生法忍がビッグバンを起こしたのか、無限の世界を創ったのか、無限の並行世界を創ったのかはわからなかった
 
如来というのは、絶対普遍的な一点に生きている。
 
最初もない、最後もなく、その中間もない。
 
あらゆる如来はあらゆる無限の世界において「同時に同一の場所で」あらゆる刹那において受記を授けて無限の世界を創ってしまう。
 
この「同時に同一の場所で」という概念は三次元世界に住む人間には非常に受け入れがたい概念だ。
 
だからこそ、三次元の世界になると、時間と空間が発生し、過去から現在へ時間を流れるように創造された。
 
そうすると、あっちの如来は過去にいて、この如来はここにいて、向こうのほうにも如来がいて、あるいは正法に釈迦という如来がいたとか、像法にイエスキリストという如来がいたとか、過去にいた雲来王仏から妙音菩薩がすでに受記を受けて、いまは浄華宿王智仏の仏国土にいるなど、無限にいる如来を時間的空間的に分別して把握することができる
 
さらに、三次元世界であれば、肉体をもって私とあなたで異なる自我を持って会話をすることができるし、如来が残した教えてである法華経に書いてある文字を読んで学ぶことができる。
 
一方で、無生法忍の視点でみると時間と空間の概念がないので、全ての如来は同時に存在することになる。
 
つまり、三次元世界とは、無生法忍が無限を作り出し仕組みについて、時間と空間という概念によって無限の如来を分別し、「如来と菩薩という登場人物が作り出す無限のストーリー」として無生法忍を人間が理解できるように創られた便利な世界であり、三次元世界が存在する理由はそれ以外にはない。
 
したがって、この三次元世界の存在理由である森羅万象に沿って生きていくことがこの世界の正義であり、それ以外の正義は存在しえず、それらはすべて偽物ということになる。
 
そしてのこの仕組み全体を学ぶための唯一の経典が「法華経」なのである。
 
あなたが法華経を学んで如来になって弟子をとって解脱させて受記を授けた瞬間とは、
 
この三次元世界を取り除くと、あなたが受記を授けた瞬間と、シャーキヤ・ムニ如来が自分の弟子に受記を授けた瞬間と、イエスキリストが受記を授けた瞬間とは一致することになる。
 
無限の如来が、無限の未来仏(受記を授け終わっていない如来)として存在する世界が法華経の見宝塔品に記載された虚空会である。
 
あなたは、法華経に書いてある無生法忍の性質を学ぶために過去に受記を受けてこの世界に生まれてきたのである
 
法華経こそがあなたが如来になる出発点となり、
無限の始まりと無限のプロセスと無限の完成がある状態を虚空会を通して学んでいく。
 
そして、何もない無生法忍を学んで代々あらゆる三次元世界に広めていって、あらゆる人をさとらせて、如来にする。
 
そしてのその如来がまた弟子をとって如来にして、その如来たちも受記を授けていく、これが無限の叡智の拡大でり、宇宙の拡大であり、永遠の命なのである。